記者クラブはリーク報道の防波堤か [感想]
時事通信社の齋藤淳氏が書いた、
「アメリカ型ポピュリズムの恐怖 『トヨタたたき」はなぜ起きたか』 」
という題の新書を読みました。
本には
「アメリカ社会の欠陥がもたらした最悪のバッシング 暗躍する政治家・弁護士・労組・リーク合戦とウラ取りなしの煽動報道、魔女狩り公聴会、その尻馬に乗る日本のマスコミ - 。 」
と書かれた帯がついてますが、
本の内容もそのとおり、
「2009年から10年にかけ、アメリカで起きた 『 トヨタたたき 』 が、
アメリカの社会構造の欠陥によった、 根拠のない不合理なものであった」
ことを丁寧に解説した内容のものでした。
勉強になりました。
ただ、 この本の中で一点、違和感を強く感じた部分がありました。
それは帯にも書かれている
「リーク合戦とウラ取りなしの煽動報道」
についての、情報源とメディアに関した部分の論述です。
具体的には、齋藤氏が、
「英米系のメディアのニュースは日本メディアよりも偏った情報源、つまり特定の情報源にリークされる形で報じられるケースが相対的に多いように思われる。
欧米諸国に日本の記者クラブに当たるような結束力の強い団体が存在しないことが、頻繁なリーク報道を可能にしているのではないかと筆者は考えている。」(189頁1~5行目)
と意見を述べられている部分です(189~191頁)。
齋藤氏は、
「欧米には、主要報道機関が一丸となって取材対象をにらみつける結束力の強い記者クラブが存在しないため、
政府や企業、団体などの組織は、特定のメディアだけを一本釣りする形で特ダネとして情報を大きく報じさせやすい。」(189頁13行目~190頁1行目)
とか、
日本と欧米の各メディアでのリークを対比させて、
「日本でも政府や企業、団体などの組織が、特定の新聞やテレビを使う形で特ダネとして情報を大きく報じさせることがあるが、
各分野に主要報道機関が勢ぞろいしている記者クラブが存在するため、毎日のように特定の新聞やテレビだけに特ダネを報じさせるのは難しい。
特定メディアだけを使って毎日のように特ダネを報じさせていれば、クラブに所属する主要メディアから「リーク報道だ」などと不満や抗議の声が上がる可能性が高いからである。
このため情報提供者は、時に特ダネを各社に順番で与えたり、時に情報の大きさや種類によって提供先を変えたりするケースが散見される。」(190頁5~11行目)、
「これに対し、欧米では日本のような記者クラブが存在しないため、政府や企業、団体などの組織は極端な話、毎日のように、あるいは毎回、特定メディアを使ってさまざまな情報を確実により大きく報じさせてことも可能だ。
このため、各方面の情報提供者はできる限り世論を誘導しようと、もしくは国民向けの情報を管理しようと、意図的に情報を流すケースが多いと見られるのだ。
その結果、特定の利益誘導などを目的に情報提供が行われる危険性も一段と増すのである。」(190頁14行目~191頁2行目)。
とか述べられています。
この齋藤氏の見解は、要約すれば、
日本メディアのニュースは、英米系メディアのニュースに比べると、特定の情報源にリークされる形で報じられるケースが相対的に少ない、
その理由は、
主要報道機関が勢ぞろいし、一丸となって取材対象をにらみつける結束力の強い、記者クラブが、各分野毎に存在し、チェックを働かせているため、
特定の情報源が、特定メディアだけを使って毎日のように特ダネを報じさせていれば、クラブに所属する主要メディアから「リーク報道だ」などと不満や抗議の声が上がる可能性が高いからである
というものです。
「記者クラブは行き過ぎた リーク報道の防波堤の役目を果たしている」
と述べられているわけですので、齋藤氏は記者クラブを積極的に評価をされているものと理解できます。
活字として残ってしまう、このような意見を表明されているわけですから、
齋藤氏は御自身のお仕事によほど誇りをお持ちの方だと推察できます。
この齋藤氏の見解は、私とは真逆です。
ですが、齋藤氏の、記者クラブを積極的に評価する、ストレートな心持ちは、私の心に、確かに、深く突き刺さりました。
昨年1月刊行された、元日経記者の牧野洋氏の 「官報複合体 権力と一体化する新聞の大罪」という本では、
(日本の)マスコミのリーク依存体質や、記者クラブ制度
を酷評したものでしたが、
齋藤氏は、牧野氏の「官報複合体」に向こうを張られたつもりなのかもしれませんね。
アメリカ型ポピュリズムの恐怖 「トヨタたたき」はなぜ起きたか (光文社新書)
- 作者: 齋藤 淳
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2012/12/14
- メディア: 新書